
世界屈指の外資系医薬品メーカー・G社。従業員数約10万人という規模を誇る同社が、たった1名の募集をかけた。
それは、メディカル・サイエンティフィック・リエゾンという、柴崎がかつて聞いたこともない、新たな職種だった。
医薬品業界を取り巻く、2010年問題をご存じだろうか。病院や薬局で処方される薬は、一定期間、特許で守られている。そのため、画期的な新薬を開発した製薬企業は、当面の間、類似する競合品が出回ることもなく、安定した収入を確保することができる。
製薬業界では、1990年頃に大型の医薬品が数多く開発された。その多くが、2010年頃を機に、一斉に特許切れを迎えるのだ。特許が切れれば、ジェネリック医薬品と呼ばれる類似薬が安価で流通し、大幅な売上ダウンは避けられない。90年代に比べて医学が格段の進歩を遂げた今、減収を補うためには、癌やエイズ、アルツハイマーといった難病に効く薬を開発する必要がある、と言われている。
日本国内にも積極的に事業を展開する、世界有数の外資系企業・G社とて例外ではない。年間数百億の売り上げを誇る薬の多くが、数年以内に特許が切れてしまうのだ。加えて、日本国内では、医薬品営業にまつわる規制が大きく刷新されることも決まっていた。G社は莫大な利益をあげてきた主力商品を失うだけでなく、営業体制の改善も余儀なくされていたのだった。
「メディカル・サイエンティフィック・リエゾン部門の人材を採用したいと考えています」G社の担当者は、柴崎にそう告げた。
「メディカル・サイエンティフィック・リエゾンですか?」
柴崎がはじめて聞く職種だった。
「開発段階にある新薬の情報を、医師に対して提供し、診察・治療に役立てていただくための部門です。今後、発売を予定している新薬を、発売前から知っていただく重要な役割を果たし、当社の営業体制に大きく貢献する役目を担います」
G社が次の主力製品として膨大な研究費を注ぎ込んだ新薬は、ある分野で世界が待ち望んできた、画期的な新薬。G社の社運を賭けた製品である。製品の効能や副作用といった情報はもとより、疾患そのもののについても、医師と深く議論しあえるような人材がほしい。それが柴崎に出されたG社からのオーダーだった。募集に先駆け、メディカル・サイエンティフィック・リエゾン部門はすでに新設されていた。だが、国内の事業所から優秀な人材を結集させても、この部門に該当した人材はわずか3人しかいなかった。
「ひとりだけでいいんです。○○病の研究経験を持つ方で、英語が堪能な方を、なんとか見つけ出してもらえませんか」
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ひとりだけ、と言っても、「○○病研究者で日本語と英語が堪能な上、研究を続けるのではなく、製薬会社へ転職を検討しているような人」が、この世にいったい何人いるのだろう。柴崎は、一筋縄ではいかないな、と思った。
柴崎は入社以来、製薬業界専門に人材紹介をしてきたエキスパート。日頃から医学書や専門雑誌を読み、地道に知識を蓄積し続けてきた結果、今では企業や転職希望者から「柴崎さんは製薬企業で働いていたんですか?」と勘違いされるほどの知識を持っていた。
だからこそ柴崎には、この採用の難しさがわかった。だが、同時に柴崎はワクワクしてもいた。自分が紹介した“たったひとり”が、巨大企業の未来を動かす可能性があるのだ。何より、世界が待ち望んでいるという新薬の流通に、自分も貢献したい。
柴崎はすぐさま会社に戻り、転職希望者のリストを手に取った。頭が痛くなるほどパソコンの画面を見つめた後、柴崎は「あっ!」と声を上げた。“たったひとり”は、アメリカにいた。
Bさんは、C社にMR(営業の代わりに医師へ薬の情報を提供するポジション)として勤務後、現在はアメリカ留学してMBAを取得中。G社の要望は研究職出身であり、文系出身のBさんは条件が合致したわけではない。けれども、柴崎にはある予感があった。
「Bさんが在籍したC社は、○○病領域で業界トップクラスの実績を持っている。もしもそのプロジェクトにBさんも参画していたとすれば……可能性はゼロではないはずだ。早速柴崎はBさんにメールでコンタクトを取った。2010年の7月のことだった。



